第一章

公家と武家

1.秀吉の松丸殿あて消息

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朗読者:天野鎮雄

1.秀吉の松丸殿あて消息

まず桃山の書の代表として、三藐院近衛信尹の書と、豊臣秀吉の書とを取上げてみる。

豊臣秀吉筆 松丸殿あて消息
京都大学附属図書館所蔵

はじめに秀吉の書から見てゆこう。『豊臣秀吉筆 松丸殿あて消息』は、秀吉が、側室の一人である松丸殿京極氏にあてた消息である。

(釈文)
かへす〳〵、ゆへそもし一人いれ候ハん事、めいわくに候つれとも、めハ大しの事にて候間、まつ〳〵ゆへいれ候ハんかと存候、やいとをうち、かた又こしなとにつほをろさせ、きゝ候ほとあそはし候へく候、かならすこゝもとふしん申つけ、一日ころにわ、いそき参可申候、又大つのおちをよひよせ候ておき候へく候、
かさねての文ねんころにミまいらせ候、ゆへいり候ハん事、まつ〳〵やいとあそはし候ハんよし、しかる可候、一日ころニこし可申候、くすし〳〵よひ候て、つほおろさせ可申候間、其心候て、やいとまつ〳〵しまいらせ候へく候、又すそひへ候まゝ、ゆへいり候ハヽ、よく候ハんと存候、めわすそひへ候に仍、上き候上かと存候、まつ〳〵ゆのふしんやめさせ申、ゆへいり候てよく候ハんと申候ハヽ、ふしんの事、十日はかりかゝり候て、いてき可申候、まつ〳〵やめ申候、かしく、
   廿四日
にしのまる
    五もしへ        大かう
        返事

文意の判然とせぬところもあるが、この二日前の二十二日付で、同じく「にしのまる五もし」に宛てた秀吉の消息(秋田子爵家旧蔵)などと照合して考えると、あらまし次のような意味になる、

—重ねて下さったお手紙ていねいに読みました。温泉へ入るのは、先ず灸をしてからがいいと思います。私も一日ごろには行きます。医者を呼んで、灸の壺を決めさせるのがいいでしょう。そういうふうにして、灸を先ずおやりなさい。あなたは、冷え症で足腰が冷えるから、湯へ入るのはいいことと思います。あなたの眼の患いも、足腰が冷えて頭へ血が上るせいでしょうから。いま有馬では、湯治場の普請をさせているところで、十日ばかりで出来上る豫定ですが、湯へ入れる程度まで普請が進んだら、ひとまず中止させますから、さっそくお入りなさい。私と一緒でなくて、あなた一人だけ湯に入れるのは、何とも残念なことですけれども、眼は大事ですから、止むなく一人で湯に入って貰うのです。灸も、肩や腰などに灸の壺を決めさせた上、よく利くようにしっかりとお据えなさい。私はこちらで伏見の城普請の指図をすましてから、一日ごろには必ず急いでまいります。大津の乳母も呼寄せておいて下さい。

日付の「廿四日」は、文禄三年四月二十四日であり、宛名の「西の丸五もじ」は、当時大坂城西の丸にいた側室京極氏、後の松丸殿である(史料編纂所編『豊大閤真蹟集』解説、渡辺世祐氏『豊大閤の私的生活』、桑田忠親氏『豊臣秀吉研究』など参照)。

側室の松丸殿が目を患って、湯治をしたいと言う。ちょうど秀吉自身も腕が痛むので(『駒井日記』文禄三年四月二十二日の条)、一緒に有馬へ行こうと思い立った。しかし折から伏見城の普請が急ピッチで進められていて、秀吉は、その指図をせねばならないので、すぐには行けない。それに腕の工合は、二、三日すると快方に向ってきた(同二十五日の条)。そこで松丸殿を先に行かせ、自分は、伏見城普請の指図が一段落してから行くことにしたのである。

彼女の健康のことをこまごまと思いやり、入浴や灸の仕方まで指示し、一人で湯に入れるのは残念だと嫉いてみせるなど、人情の機微に通じた秀吉の人柄を偲ばせる。

その書は、文章もそうであるが、かざり気がなく、たくんだところがない。大胆率直で天衣無縫である。天真爛漫で潑剌としていて、巧拙を超えた面白さがある。彼の書には、桃山という時代の、豁達自由な雰囲気が、実によく出ているといえよう。

朗読者

天野鎮雄

俳優/1936年愛知生まれ。愛知県NHK名古屋放送劇団、文学座研究生、「山本安英の会」など経て、劇団「劇座」代表。ラジオのパーソナリティーを務め「アマチン」の愛称で親しまれる。愛知県芸術文化選奨賞等受賞。 ―桃山文化を、細かく深く見た言葉を語るわけですが、自由はつらつでいいのではないかと、思い読んでいます。

第1部

桃山の美とこころ
はしがき
はしがき
第一章
公家と武家
1.秀吉の松丸殿あて消息
2.格外の書と破格の書
3.三藐院の団欒の歌
4.秀吉と三藐院
第二章
南蛮物と和物
5.唐物と南蛮物
6.南蛮服飾
7.片身替詩歌文様の能装束
8.和物の伝統の継承発展
第三章
花と雪間の草
9.金碧障壁画
10.「冷え」の美
11.雪間の草の春
第四章
豪壮と優婉
12.唐獅子図屛風
13.唐獅子とは
14.花下遊楽図屛風
第五章
閑寂と変化
15.長次郎の「大黒」と織部の「三角窓」
16.早船茶碗の文
17.利休における閑寂と変化
18.織部焼
第六章
懐古と求新
19.異国的なるものへの憧憬
20.南蛮画
21.伊勢物語絵、源氏物語絵
第七章
キリシタンと禅
22.キリスト教と禅
23.キリシタン美術
24.禅の美術
第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動)
25.天下人の能と民衆の風流踊
26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
27.沈静の美、躍動の美
第九章
御殿と草庵
28.宇治橋三の間の名水から竹生島へ
29.都久夫須麻神社本殿
30.高台寺の時雨亭と傘亭
31.高台寺茶亭、都久夫須麻神社本殿と伏見城
第十章
金碧と水墨
32.金碧画の平板と水墨画の奥行
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
34.画道における楓図、松林図の位置
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
第十一章
花紅葉と
冷え枯るる
36.高雄観楓図と鬼桶水指
37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
38.冷え枯るる風体
第十二章
遠心と求心
39.桃山時代の遠心と求心
40.妙喜庵 待庵
41.東山大仏殿
42.秀吉の遠心と利休の遠心
第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって
43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
44.秀吉と利休のわびへの志向
45.冷えわびとなまわび
第2部
倉澤先生に聞く
織部に「閑寂」を忍ばせる
信長のこと
家康と桃山のこと
あとがき
年表
第一部図版目録