第七章

キリシタンと禅

22.キリスト教と禅

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朗読者:杵屋喜尚

22.キリスト教と禅

一五四九年(天文十八年)、鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルは、その地で、島津家の菩提寺、曹洞宗福昌寺の住持、忍室和尚と親交を結んだ。このパーデレ(伴天連)と禅僧は、ある時、青年時代と老年期とどちらがよきか、という問題をめぐって、次のような会話をした。

ザビエル―「(ここに)一艘の船があって、港を出帆し、ぜひとも別のある港に行かねばならぬと仮想していただきたい。その船客たちは、風波や嵐に曝されて大海原の真只中にいる時と、もう港が見え出し、(やがて)港口に入りながら、過ぎ去った海難や嵐のことをそこで回想(できるようになった)時と、どちらの時にいっそう嬉しい思いを抱き得るであろうか」

忍室―「伴天連(殿)、私にはあなた(のおっしゃったこと)がよく判る。港に入ろうとしている人々にとって、港が見える(時の)方が嬉しく喜ばしいことは当然であることをよく承知している。だが拙僧には今まで、どの港を見分けるべきか決めてもいないし、決心したこともないので、どのように、どこへ上陸せねばならぬのか判らない」(松田毅一、川崎桃太訳『フロイス日本史』豊後篇第二章)。

この会話には、ザビエルと忍室の宗教的考え方の違いがよく出ていて面白い。ザビエルからすれば、人生航路は、或る「行かねばならぬ」港を目標とすべきものであった。海難や嵐は、それに遭遇している最中には、その意味が分らないけれども、港に着いて回想すれば、港への途中として意味づけられることができる。つまり、人生の意味は、その終着によって与えられるのである。言いかえれば、現在の意味が将来から与えられるのである。こういう人生観は、少しむずかしい言葉でいえば、終末論的とか目的論的とかいうことになる。ではなぜ人は、その港に行かねばならぬのであるか。そのことは、右の会話には出ていないが、ザビエルの立場からすれば、「それは、人生航路をみそなわしている神が人にそこへ行くよう望まれ、そこへ行けば、神が人をお救い下さるからである」ということになろう。

これに対して忍室は、「どの港を見分けるべきか決めてもいないし、決心したこともない」と言う。これは、「行くべき港を見分けるべきであるが、それができない」という意味ではなくて、「そのような見分けをしようとは思わない」という意味であろう。忍室にとっては、人生航路をみそなわしているような超越的・他者的神は無いし、行くべき港を見分けるようにという神の要求も無い。「救い」の港を目ざさねばならぬ理由もない。彼にはただ、時と処とに応じて自然に変る航路があるのみである。これを少しむずかしい言い方でいえば、任運騰々ということになる。現在の海難や嵐が将来から意味づけられるということもない。現在はただ現在である。

人生航路についての二人の観じ方の違いは、人類の航路、つまり歴史、の観じ方についても、そっくり当てはまるであろう。

さて、ザビエルと忍室との立場の相違は、より一般化して言えば、キリスト教と禅との立場の違いである。キリスト者は、たいてい、超越的他者としての神を信じ、個人や人類の歴史を、神による審判のある「終り」から見る。これに対して、禅者は、超越的他者を認めないで、むしろ「自己本来の面目」に徹しようとする。利休の遺偈の「祖仏共殺」の語はそれを端的に示している。現代における最も透徹した禅者である久松真一先生の末期の一句は、「殺仏殺神」であった。禅者はまた、終りからないし将来から現在を見ることをしない。強いて言えば、現在から現在を見る。

キリスト教と禅とは、同じく宗教と呼ばれていても、超越的他者的神への信仰に対して自己本来の面目への徹底、終末論的・目的論的に対して任運謄々的、というように、本質的に異なる立場に立つ。

それ故、キリシタン宣教師たちにとって、禅者は、日本伝道における最も手強い敵であった。しかしまた、あまりに立場が違う故に、反って親しくなる場合もあった。右の、ザビエルと忍室の場合がそれであるが、他にも例えば、追放される伴天連たちに夜半別れを告げに行き、涙を流さんばかりの悲しみを見せたチフクゴンシなる禅僧のあったことが、オルファネールの『日本キリシタン教会史』(井手勝美訳)に記されている。

前置が長くなったが、以下、このように相互に大いに立場を異にするキリスト教と禅に触発されて、いかなる造形がなされたかを、桃山美術について一瞥してみることにしよう。

朗読者

杵屋喜尚

長唄演奏家/四世杵屋喜多六に師事。青陽会、吉住会。むすめかぶき公演「鏡獅子」6都市8公演、「勧進帳」「舟弁慶」、女流のみの作品に長唄唄方で出演。-朗読が「声」をさまざまに使うことで、鮮やかに場面を表出させることが出きると感じました。書かれている文字、一つずつ気をぬかないで語ることが新鮮に思います。

第1部

桃山の美とこころ
はしがき
はしがき
第一章
公家と武家
1.秀吉の松丸殿あて消息
2.格外の書と破格の書
3.三藐院の団欒の歌
4.秀吉と三藐院
第二章
南蛮物と和物
5.唐物と南蛮物
6.南蛮服飾
7.片身替詩歌文様の能装束
8.和物の伝統の継承発展
第三章
花と雪間の草
9.金碧障壁画
10.「冷え」の美
11.雪間の草の春
第四章
豪壮と優婉
12.唐獅子図屛風
13.唐獅子とは
14.花下遊楽図屛風
第五章
閑寂と変化
15.長次郎の「大黒」と織部の「三角窓」
16.早船茶碗の文
17.利休における閑寂と変化
18.織部焼
第六章
懐古と求新
19.異国的なるものへの憧憬
20.南蛮画
21.伊勢物語絵、源氏物語絵
第七章
キリシタンと禅
22.キリスト教と禅
23.キリシタン美術
24.禅の美術
第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動)
25.天下人の能と民衆の風流踊
26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
27.沈静の美、躍動の美
第九章
御殿と草庵
28.宇治橋三の間の名水から竹生島へ
29.都久夫須麻神社本殿
30.高台寺の時雨亭と傘亭
31.高台寺茶亭、都久夫須麻神社本殿と伏見城
第十章
金碧と水墨
32.金碧画の平板と水墨画の奥行
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
34.画道における楓図、松林図の位置
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
第十一章
花紅葉と
冷え枯るる
36.高雄観楓図と鬼桶水指
37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
38.冷え枯るる風体
第十二章
遠心と求心
39.桃山時代の遠心と求心
40.妙喜庵 待庵
41.東山大仏殿
42.秀吉の遠心と利休の遠心
第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって
43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
44.秀吉と利休のわびへの志向
45.冷えわびとなまわび
第2部
倉澤先生に聞く
織部に「閑寂」を忍ばせる
信長のこと
家康と桃山のこと
あとがき
年表
第一部図版目録