第七章

キリシタンと禅

23.キリシタン美術

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朗読者:杵屋喜尚

23.キリシタン美術

重要文化財 葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(オスチア容器)
東慶寺所蔵

図に掲げたのは、オスチア(ostia)の容器である。オスチアは、カトリックのミサの時に用いられたパンで、供麪・祭餑・聖餅などと訳される。「オスチア」というのはキリシタン用語で、今日は一般に「ホスティア」(hostia)と呼ばれる。ミサでは、ホスティアを神前に献じ、しかる後に信者がこれを拝領して食べる。その由来は、いわゆる「最後の晩餐」の時、キリストがパンを取って弟子に与え、「取りて食へ、これは我が体なり」と言い、また酒杯を取って弟子に与え、「なんぢら皆この酒杯より飲め。これは契約のわが血なり」と言った(マタイ伝二十六章)ことにある。ホスティアはこのように、キリストの聖体という重要な意味を荷うものであるから、これの容器もまた、キリシタンとしては頗る大切なものであった。それが如何にして東慶寺に入ったかは分らないが、そのすぐれた出来ばえからして、あるいは京都南蛮寺(狩野宗秀(元秀)筆  都の南蛮寺図扇面 部分 京都南蛮寺の図か)の祭具ではなかったかとも推測される。ではその意匠を見てゆこう。

蓋と身の側面には、蒔絵と螺鈿で、葡萄があらわされている。そのおおらかな、のびのびとした趣は、いかにも桃山である。

重要文化財 葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(オスチア容器) 蓋表
東慶寺所蔵

蓋の表(重要文化財 葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(オスチア容器) 蓋表)の中央に、IHSの三字、そのHの上に、装飾された十字架、Hの下に三本釘があらわされている。これは、イエズス会が会の紋章として用いた意匠で、IHSはイエズスをあらわし、十字架はその救いを、釘はその受難を象徴する、というのが一般的解釈である。

IHSは、元来ギリシャ語のイエースースIησονσの初めの三字を取ってイエズスの略号としたもので、早く四世紀から用いられたという。後には、IHSにVの一字を追加して、コンスタンテイヌス Constantinus 皇帝のIn hoc signo vinces.「汝はこの標(十字架)にて打勝たん」の意と解されたこともあった。そして、横並びのIHS三字のHの上に十字架、Hの下にVの字を置く意匠、つまり、ここに取上げたオスチア容器の意匠の三本釘のところにVを配した意匠、も用いられた。またIHSを Iesus Hominum Salvator「人類の救済者イエズス」の略とする解釈も広く行われた。

IHSを取囲む広狭二重の円圏から、外に向って放射状にのびる、楔形と炎形とを交互に並べた文様は、光を象ったものである。

『ぎやどぺかどる』扉

この、IHSに十字架と釘を組合せた意匠は、キリシタン時代のイエズス会の日本における出版物の表紙に、しばしば用いられた。その一例として、慶長四年、天草で印刷された『ぎやどぺかどる』の扉を掲げた。

キリシタン出版物の話が出たついでに、いま一つ、キリシタン版の代表的な書物を紹介しておこう。それは、文禄元年、天草において印刷された『ドチリイナ・キリシタン』である。中扉の中央に、十字架を載せた地球を手にしてEgo sum via et veritas et vita.「我は道なり、真理なり、生命なり」(ヨハネ伝第十四章六節)と語るキリストの像をあらわす。その言葉が絵の下に書かれている。絵の上には、ローマ字で、「日本のイエズスのコンパニヤのスーペリオルよりキリシタンに相当の理を互の問答の如く次第を分ち給ふドチリイナ」とあり、絵の下には、やはりローマ字で「イエズスのコンパニヤのコレジヨ 天草においてスーペリオーレスの御許しを蒙り、これを版となすものなり、時に御出世の年紀一五九二」とある。その右に掲げたのは、この書の序の頁である。試みにその初めを読んでみよう。

 御あるじイエズ・クリスト御在世の間、御弟子達に教へ置き給ふ事のうちに、とりわき教へ給ふことは、汝達に教へけるごとく、一切人間に後生をたすかる道のまことの掟を弘めよとの御事也。
 これ即ち学者達の宣ふごとく、三つの事に極まる也、一つには、信じ奉るべき事、二つには頼もしく存じ奉るべき事、三つには身持を以てつとむべき事これ也。

キリシタン茶碗

次に抹茶茶碗を一つ取上げよう。図に掲げたのは「キリシタン茶碗」である。ご覧のように、高台内に十字の文様のあるところから、この名が出た。著者の恩師、久松真一先生が絶賛してやまなかった名碗である。この十字の文様が、いかなる動機でつけられたかは明らかでない。キリシタン茶人が、特に陶工に注文して作らせたとも考えられるが、また、信者ならぬ茶人または陶工が、単に面白い意匠として着想しただけのものとも考えられる。私は、この後者の蓋然性の方が高いと見る。つまり、いわゆる南蛮趣味ないしはキリシタン趣味流行の一現象と思うのである。

次に、ザビエルの画像を一点取上げてみよう。図(重要文化財 聖フランシスコ・ザビエル像)に掲げたのは、キリシタン大名として名高い、高山右近の旧領高槻の在で大正年間に発見され、新村出博士によって世に紹介されたものである。図柄は、胸の前に手を組んで、雲の切れ間から、神のいます天を仰ぐザビエルをあらわす。赤い心臓に十字架が突立ち、これに釘づけされたキリストが血を流している。十字架の周りを三天使が飛ぶ。キリストの体と、その下のIHSの文字からは、燦然と光が放たれている。十字架の先端のINRIはIesus Nazarenus Rex Iudaeorum「ユダヤびとの王ナザレのイエズス」(ヨハネ伝第十九章)の頭字であり、ザビエルの口からは SATIS EST DÑE SATIS EST「十分なり、主よ、十分なり」という讃嘆の言葉が出る。絵の下に S.P.FRÃCISCUS XAVERIVS SOCIETATISV(最後の二字は順序を逆にするのが正しい)「聖父フランシスクス・シヤベリウスイエズス会士」とあり、その更に下には「瑳夫羅怒青周呼山別論麽搓可羅綿都」と書かれ、「漁夫環人」の署名と朱文の壺印がある。漁夫環人が何者であるか不明である。

さて、一般に、宗教に関りある事柄を素材とし、もしくは宗教に関りある意匠を含む造形を、宗教美術という。しかしこれは外面的な見方で、宗教の内面から見れば、ある作品が宗教美術であるか否かは、その作品の中に宗教性が生きてはたらいているか否かによって決まる。外面から見て、宗教を素材とし、もしくは宗教に関りある意匠を用いている作品でも、その中に生きた宗教性がなかったならば、それは、内面的な意味では宗教美術ではない。逆に、一見、宗教とは無関係な事柄を素材とし、意匠にも宗教に関りあるものが見当らぬ作品でも、その中に生きた宗教性があれば、それは内面的な意味で宗教美術と言える。つまり宗教美術という言葉には、外面的な意味と内面的な意味とがあるのである。

では、ここに取り上げた三点の作品は、外面的な意味において「キリシタン美術」であるのは疑ないにしても、内面的な意味においてもそうであるかどうか。こう問われると、私は、初めの二点については、然りと答えるのに躊躇を覚える。キリシタン茶碗の十字文様は、単なるキリシタン趣味の一表現のように思えるし、オスチア容器も、これを作らせた人や作った工人に、生きたキリシタン信仰があったか否か疑わしいからである。これに対して、第三のザビエル像には、超越的他者としての神への無限の憧憬、シュライエルマッヘルのいわゆる絶対依存の情schlechthinniges Abhängigkeitsgefühl が明らかに観取される。それ故、これは、外面的な意味においても内面的な意味においても、キリシタン美術と呼んでよいであろう。

朗読者

杵屋喜尚

長唄演奏家/四世杵屋喜多六に師事。青陽会、吉住会。むすめかぶき公演「鏡獅子」6都市8公演、「勧進帳」「舟弁慶」、女流のみの作品に長唄唄方で出演。-朗読が「声」をさまざまに使うことで、鮮やかに場面を表出させることが出きると感じました。書かれている文字、一つずつ気をぬかないで語ることが新鮮に思います。

第1部

桃山の美とこころ
はしがき
はしがき
第一章
公家と武家
1.秀吉の松丸殿あて消息
2.格外の書と破格の書
3.三藐院の団欒の歌
4.秀吉と三藐院
第二章
南蛮物と和物
5.唐物と南蛮物
6.南蛮服飾
7.片身替詩歌文様の能装束
8.和物の伝統の継承発展
第三章
花と雪間の草
9.金碧障壁画
10.「冷え」の美
11.雪間の草の春
第四章
豪壮と優婉
12.唐獅子図屛風
13.唐獅子とは
14.花下遊楽図屛風
第五章
閑寂と変化
15.長次郎の「大黒」と織部の「三角窓」
16.早船茶碗の文
17.利休における閑寂と変化
18.織部焼
第六章
懐古と求新
19.異国的なるものへの憧憬
20.南蛮画
21.伊勢物語絵、源氏物語絵
第七章
キリシタンと禅
22.キリスト教と禅
23.キリシタン美術
24.禅の美術
第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動)
25.天下人の能と民衆の風流踊
26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
27.沈静の美、躍動の美
第九章
御殿と草庵
28.宇治橋三の間の名水から竹生島へ
29.都久夫須麻神社本殿
30.高台寺の時雨亭と傘亭
31.高台寺茶亭、都久夫須麻神社本殿と伏見城
第十章
金碧と水墨
32.金碧画の平板と水墨画の奥行
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
34.画道における楓図、松林図の位置
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
第十一章
花紅葉と
冷え枯るる
36.高雄観楓図と鬼桶水指
37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
38.冷え枯るる風体
第十二章
遠心と求心
39.桃山時代の遠心と求心
40.妙喜庵 待庵
41.東山大仏殿
42.秀吉の遠心と利休の遠心
第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって
43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
44.秀吉と利休のわびへの志向
45.冷えわびとなまわび
第2部
倉澤先生に聞く
織部に「閑寂」を忍ばせる
信長のこと
家康と桃山のこと
あとがき
年表
第一部図版目録