第三章

花と雪間の草

11.雪間の草の春

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朗読者:市川櫻香

11.雪間の草の春

「園城寺」花入は、このように冬の美意識、「冷え」の美意識を基調とする点で、春の美意識の具現である桜図と、はっきりと対立している。しかし、炯眼の読者が既に気付かれた如く、もっとよく観照してみると、「園城寺」には「桜図」の春の美意識に一脈通ずるようなところもある。右に言及した「よなが」や「大黒」や「尻膨」にはそういうところはない。それらは純粋に冬の美意識の体現で、どこと言って取り立てて見るべき景色なくして、何か人の心に迫るものがある。それは名人増阿の藝や、宗真の見た利休点前と同じで、冷えに冷えたる風体である。これに対して「園城寺」には、はっきりした景色がある。筒正面の大きな割れ目がそれである。この割れ目は、利休がこの花入を作った当初からあったものであるらしい。否、利休は、この割れ目あるが故に、この竹を花入に作ったのであった。

『茶話指月集』にいう、

宗易、園城寺の筒に花を入レて床にかけたるを、ある人、筒のわれめより水のしたゝりて畳のぬれけるを見て、いかゝと申されたれば、易、此水のもり候か命なりといふ、

竹花入の割れ目を面白しと見、そこから水がしたたるのを命と見る観じ方は、中世的美意識の純粋な継承者である紹鷗には無いものであった。無い、というのが言い過ぎであるとすれば、稀薄であった。少なくとも積極的に肯定することはなかったと思う。『南方録』によれば、紹鷗が佗茶の心をあらわす歌として、定家の

見渡せば花も紅葉もなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮

をつねづね愛唱していたのに対し、利休は、この定家の歌に家隆の

花をのみ待つらむ人に山里の
雪間の草の春を見せばや

の歌を加えて、二首を併せ愛唱していたという。花も紅葉もなき晩秋から冬にかけての冷えたる風体を、どこまでも純粋に守ろうとした紹鷗の立場と、冷えたる趣を基調としつつも、その中に春の暖かさをも包摂しようとした利休の立場との違いが、そこにはある。紹鷗が冷えに冷えたる風体に徹しようとしたに対して、利休は、そこから進んで、冷えやさしき風体を志向したと言ってもよい。

筒の割れ目から水がしたたるのをよしとする観じ方は、雪間の草の春をよしとする観じ方と同じである。「花と雪間の草」のテーマで、「桜図」と「園城寺」とを並べた趣意が、これで理解していただけたであろうか。

「園城寺」の銘は、筒の割れ目から園城寺(三井寺)の破れ鐘を連想したことに由来するといわれるが、また、花入の「罅き」(割れ目)から園城寺の名鐘の美しい響きを連想したものとも考えられよう。『江岑夏書』に

竹筒事、小田原陣御供休被参、其時、大竹在之故、花入ニ切被申候、園城寺も其時ノ花入、日本第一、小田原より帰陣在之、園城寺、少庵へみあげ心に越被申候、

とある。これによれば、この花入は、利休が小田原陣で作り、少庵へのみやげとしたものであった。背の方に、「園城寺 少庵」と彫ってある(千利休作 竹一重切花入 銘「園城寺」)が、これは利休筆とも伝える(『松屋会記』『三斎公伝書』)。なお、この花入は、初め秀吉に献じられたが、秀吉の気に入らず、秀吉はこれを庭前に投げ捨てた―割れ目は、そのとき石に当って出来た、との伝えもあるが(『茶湯古事談』)、これは後人の附会であろう。

「園城寺」と、以上見たような点で共通する利休所持道具としては、私は、備前水指「破桶」をあげたい。この水指の上下のタガの一部が落ちて赤い胎土を見せているところ、「園城寺」の割れ目の面白さに通じ、加えて内側が、外側のさびた釉調とは対照的に、ほのぼのとした赤色を呈している点、まさしく「雪間の草の春」の趣を示している。

備前桶形水指 銘「破桶」 千利休好

最後に、「雪間の草の春」の作意を示す茶席荘りを紹介してみよう。天正十八年九月二十三日朝、秀吉は聚楽第で、黒田如水、針屋宗和、天王寺屋宗凡を客とし、捨子茶壺口切の茶会を催した。利休が茶頭であった。捨子茶壺は、『茶器名物集』などによると、東山御物で、釉がかじけ、表面に霜の降りたような面白い釉状を呈していた。ある時、この壺の口切に招かれた心敬が、この壺に発句せよとの義政の上意により「さゝかじけ橋に霜おくあしたかな」の句を作ったという。冷えかじけた壺であったのである。茶入は鴫の羽を連想させる黒みがかった釉薬の「鴫肩衝」、掛物は玉澗の遠浦帆帰図であった。この日の会で最も興味あるのは、この鴫肩衝の荘り方であった。すなわちそれは、紹鷗白天目の内に入れられ、間に野菊一本を挾んで、帆帰の絵を掛けた床の間の床柱の前の畳に置かれてあった。秋江の暮色を描く帆帰の絵に野菊と鴫を配したのは、「鴫立つ沢の秋の夕暮」の心によるものであろうか。そして、捨子の壺、帆帰の絵、鴫肩衝、白天目が共有する冷え・さび・やせ・枯れ・かじけた趣を野菊のやさしさで破った作意は、まさしく「冷えやさしき」風体を志向したものであり、「雪間の草」の心に通うものであった。この荘りは、利休の作意に出たものであろう。この荘りによる利休の点前も興味をそそられるものがあるが、それについての言及は割愛しよう。

重要文化財 白天目茶碗 伝武野紹鷗所持 前田家伝来

ともあれ、中世的な「冷え」の美意識を基調としつつも、「冷え」の中に春のあたたかさを包摂し、「冷えやさしき」風体を創造したところ、利休は紛れもなく桃山時代人であって、単なる中世人ではなかった。

無辺刹境入毫端
帆落秋江隠暮嵐
残照未収漁火動
老翁閑自説江南
  遠浦帆帰

朗読者

市川櫻香

舞踊家/名古屋生まれ。むすめかぶき代表、花習会主宰。12代市川宗家より市川姓授与、祖母、豊後半壽、常磐津研究所に生れる。能と歌舞伎による新作「千手」「天の探女」、市川團十郎脚本「黒谷」、名古屋市芸術奨励賞、名古屋演劇ペンクラブ賞受賞等。 ―「伝えるより、気づいてもらう」と倉澤先生の言葉。日本的な「歌」の世界観が表現出来ることを目標にして読みました。どうでしょうか。

第1部

桃山の美とこころ
はしがき
はしがき
第一章
公家と武家
1.秀吉の松丸殿あて消息
2.格外の書と破格の書
3.三藐院の団欒の歌
4.秀吉と三藐院
第二章
南蛮物と和物
5.唐物と南蛮物
6.南蛮服飾
7.片身替詩歌文様の能装束
8.和物の伝統の継承発展
第三章
花と雪間の草
9.金碧障壁画
10.「冷え」の美
11.雪間の草の春
第四章
豪壮と優婉
12.唐獅子図屛風
13.唐獅子とは
14.花下遊楽図屛風
第五章
閑寂と変化
15.長次郎の「大黒」と織部の「三角窓」
16.早船茶碗の文
17.利休における閑寂と変化
18.織部焼
第六章
懐古と求新
19.異国的なるものへの憧憬
20.南蛮画
21.伊勢物語絵、源氏物語絵
第七章
キリシタンと禅
22.キリスト教と禅
23.キリシタン美術
24.禅の美術
第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動)
25.天下人の能と民衆の風流踊
26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
27.沈静の美、躍動の美
第九章
御殿と草庵
28.宇治橋三の間の名水から竹生島へ
29.都久夫須麻神社本殿
30.高台寺の時雨亭と傘亭
31.高台寺茶亭、都久夫須麻神社本殿と伏見城
第十章
金碧と水墨
32.金碧画の平板と水墨画の奥行
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
34.画道における楓図、松林図の位置
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
第十一章
花紅葉と
冷え枯るる
36.高雄観楓図と鬼桶水指
37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
38.冷え枯るる風体
第十二章
遠心と求心
39.桃山時代の遠心と求心
40.妙喜庵 待庵
41.東山大仏殿
42.秀吉の遠心と利休の遠心
第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって
43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
44.秀吉と利休のわびへの志向
45.冷えわびとなまわび
第2部
倉澤先生に聞く
織部に「閑寂」を忍ばせる
信長のこと
家康と桃山のこと
あとがき
年表
第一部図版目録