こちらから本文の朗読をお聞きいただけます
朗読者:市川新蔵
42.秀吉の遠心と利休の遠心
以上、桃山時代の求心の精神を示す建築として待庵を、遠心の精神を示す建築として大仏殿をあげてみた。
待庵のどこが求心的で、大仏殿のどこが遠心的かについては十分に説き得なかったが、賢明な読者には、あらかたおわかりいただけたであろう。
ところで、待庵は利休好みの席であり、大仏殿は秀吉好みの反映とみられる。すると、求心は利休的、遠心は秀吉的、ということに一応なる。しかし実は、利休にも、ある意味での遠心があった。そのことを最後に述べておこう。
ある時、秀吉が利休に「大仏殿の内陣で茶をすることのできる者は誰か」と尋ねたところ、利休は「道安ができます」と答えたという(『茶話指月集』)。この逸話は、利休の茶が、大仏殿での点茶を許容するほどの遠心性を具えていたことを示す、と私は解釈する。
だが、利休の遠心は、秀吉の遠心とは異るものであった。利休には、「雪間の草の春」への或は冷えやさしへの志向があったが(11節参照)、この志向を更に進めれば、巨大な大仏殿の中や、宏大な北野松原で茶湯を行うことも肯定され得るようになる。これが利休における遠心であった。だから、彼の遠心の根本には「冷え」があった。その遠心は「冷え」からの遠心、その意味では、還相的・却来的遠心であった。
あるいは次のようにも言える。利休の場合、「求心」「遠心」の「心」は、中心の意であると同時に、先に私が「藝道」を、「藝から心へ」「心から藝へ」の道であると述べたさいの「心」に当る(34節)。そして「求心」とは、「心」が狭い拡がりの中に濃密に凝集的に表現された風体の形容であり、「遠心」とは、「心」が広い拡がりの中に壮大におおらかに表現された風体の形容である。待庵はそういう意味で求心的建築であり、もし利休が大仏殿で茶湯をしたら、それは、そういう意味で遠心的茶となったであろう。なお、そういう意味での遠心的建築の例を求めるならば、西本願寺飛雲閣が挙げられよう。
要するに、利休の遠心は「冷え」からの遠心であり、また右の意味で「心」からの遠心であった。いずれにせよ還相的・却来的遠心であったのである。これに比して、秀吉の「遠心」は、「冷え」から、「心」からのいずれの意味においても還相性・却来性の乏しい、それ故に散漫な、統一性なき遠心であったと思われる。東山大仏殿は、現存しないから確かなことは言えぬが、どちらかと言えば、利休的遠心より秀吉的遠心の性格の強い建物だったのではあるまいか。「遠心と求心」の題で待庵と東山大仏殿を並べたのは、こういう趣意からであった。
朗読者
市川新蔵
歌舞伎俳優/六代目・1956年生まれ/12代目市川團十郎の門人、一番弟子。重要無形文化財総合認定。堅実な芸風で『義経千本櫻』の四天王の武士、『夏祭浪花鑑』の義平次などの敵役、『源平布引滝』の九郎助などの老けが持ち役。国立劇場特別賞、日本俳優協会賞等受賞。-茶人の目線でお読みいただいた。本当に堅実な方である。朗読からもよくわかる。歌舞伎役者も、能楽師と同様、伝統を伝承する仕事です。そして、その上で利休のような思いがあるものだと、朗読を聞いて観じます。(櫻)
第1部
- 桃山の美とこころ
はしがき - はしがき
- 第一章
公家と武家 - 1.秀吉の松丸殿あて消息
- 2.格外の書と破格の書
- 3.三藐院の団欒の歌
- 4.秀吉と三藐院
- 第二章
南蛮物と和物 - 5.唐物と南蛮物
- 6.南蛮服飾
- 7.片身替詩歌文様の能装束
- 8.和物の伝統の継承発展
- 第四章
豪壮と優婉 - 12.唐獅子図屛風
- 13.唐獅子とは
- 14.花下遊楽図屛風
- 第六章
懐古と求新 - 19.異国的なるものへの憧憬
- 20.南蛮画
- 21.伊勢物語絵、源氏物語絵
- 第七章
キリシタンと禅 - 22.キリスト教と禅
- 23.キリシタン美術
- 24.禅の美術
- 第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動) - 25.天下人の能と民衆の風流踊
- 26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
- 27.沈静の美、躍動の美
- 第十一章
花紅葉と
冷え枯るる - 36.高雄観楓図と鬼桶水指
- 37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
- 38.冷え枯るる風体
- 第十二章
遠心と求心 - 39.桃山時代の遠心と求心
- 40.妙喜庵 待庵
- 41.東山大仏殿
- 42.秀吉の遠心と利休の遠心
- 第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって - 43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
- 44.秀吉と利休のわびへの志向
- 45.冷えわびとなまわび