第二部

桃山と信長のことなど

家康と桃山のこと

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朗読者:市川櫻香

家康と桃山のこと

徳川家康の九男義直を藩祖とする尾張藩は、全国の諸藩の中でも能楽の盛んなことでは五指に入るであろう。義直が尾張藩六十二万石を領したのは八歳。幼少から観世新九郎に小鼓を習ったと伝えられる。笛方藤田流、初代の藤田清兵衛は、寛永六年に召し抱えられている。寛永八年の分限帳(『名古屋市史風俗編』)には、金春八左衛門(二百石)・金春新助(八十石、太鼓)・藤田清兵衛(八十石)・山脇五郎左衛門(七十石、狂言)など十七名の能役者の名を伝えている。

慶安三年(1650)尾張藩の能楽は二代藩主光友の治世になり更に活発となる。

京都の高安流脇方西村庄兵衛など多数を抱え、別に江戸や京都在の和泉流狂言方の野村又三郎なども出入りし尾張藩の能楽は大層賑やかに栄えていく。初代藩主の父家康は、能の保護者として最も大切な人物の一人である。家康と能について『中世芸能史論考』にこのように書かれている。

「観世座の由緒書を見ると、宗節元忠の兄に十郎大夫なるものがあったが、仔細あって家を嗣がず、駿河に下って家康の幼少のころから召出されて、朝夕側近に在り、謡を指南したというのであるから、家康の能に対する理解は、一朝一夕のものでなかったことが知られる。この十郎大夫は世阿弥の子十郎大夫の血筋で越智観世家を再興したものである。元亀三年(一五七二)八月十二日に浜松城で、観世大夫とともに演能をしている。また、十六日の能には家康自身も舞った」

天正十四年(1586)家康は秀吉と和解。その後の家康は、京都において秀吉や秀次、前田利家らと盛んに演能をしていることが当時の日記(『駒井日記』、『武辺雑談』や覚書)に見られる。

中でも『武辺雑談』には「聚楽にて御能之時、秀吉自身舞い、家康公は舟弁慶の時、義経を演じた。太りたる姿で義経らしき処は少しもなし」と書かれ「皆々腹筋よりておかしき事なり」また、「家康公をハ、あの古狸か作り馬鹿をして太閤をなふる見よ、さても兵哉」と家康の演能がいかにも政策的意味を持つものであったかのように当時の人が記録している。しかし、家康は心から能を愛好していたようで、当時の記録には、家康が能を主催したり鑑賞したり、または自身が演じたことが多く遺されている。

慶長十二年、当時ようやく七歳になったばかりの長福のちの紀伊頼宣や、水戸頼房、あるいはその兄の尾張義直に能を稽古させ、自身これを観、あるいは家康を訪ねた大名たちに、これを観せて喜んだことが当代記に記されている。

家康の能との関わりは、幼少期の稽古によるものであることは間違いない。そして家康が、自分の子供たちに能の稽古をさせるだけではなく、徳川の時代を確立するとき、能楽から学んだ禅的文化の感化を次の時代への新たな形式の土台になった。

家康が越智観世家十郎大夫から献上されたと言われる能伝書における「相応の工夫」「珍しき」「型」「衆人愛敬」それらお能や芸道の中で身に習い思考したことを、新たな世のありように取り入れたという考えはとても自然に行われた。志ある施策は継続を必要とし、そこに学問を道とした家康を想像できる。伝書とは、多くは「兵法」である―というのは言い過ぎかもしれません。しかし、芸においても、戦においても、生きる戦略であり、死に物狂いに生きるその姿から世阿弥は「花」を創造した。それをまた新たに桃山の時代が受け継いでいった。

世阿弥が「花」と言われるはじまりは、足利義満の稚児の時代。「時分の花」が与える瑞々しい風を義満は世阿弥に見た。義満、世阿弥、信長、秀吉、家康、命がけに咲く「花」たちは狂おしく、そしてそこに、利休、織部、等伯が。想像するだけでも胸にせまる時代である。

朗読者

市川櫻香

舞踊家/名古屋生まれ。むすめかぶき代表、花習会主宰。12代市川宗家より市川姓授与、祖母、豊後半壽、常磐津研究所に生れる。能と歌舞伎による新作「千手」「天の探女」、市川團十郎脚本「黒谷」、名古屋市芸術奨励賞、名古屋演劇ペンクラブ賞受賞等。―「伝えるより、気づいてもらう」と倉澤先生の言葉。日本的な「歌」の世界観が表現出来ることを目標にして読みました。どうでしょうか。

第1部

桃山の美とこころ
はしがき
はしがき
第一章
公家と武家
1.秀吉の松丸殿あて消息
2.格外の書と破格の書
3.三藐院の団欒の歌
4.秀吉と三藐院
第二章
南蛮物と和物
5.唐物と南蛮物
6.南蛮服飾
7.片身替詩歌文様の能装束
8.和物の伝統の継承発展
第三章
花と雪間の草
9.金碧障壁画
10.「冷え」の美
11.雪間の草の春
第四章
豪壮と優婉
12.唐獅子図屛風
13.唐獅子とは
14.花下遊楽図屛風
第五章
閑寂と変化
15.長次郎の「大黒」と織部の「三角窓」
16.早船茶碗の文
17.利休における閑寂と変化
18.織部焼
第六章
懐古と求新
19.異国的なるものへの憧憬
20.南蛮画
21.伊勢物語絵、源氏物語絵
第七章
キリシタンと禅
22.キリスト教と禅
23.キリシタン美術
24.禅の美術
第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動)
25.天下人の能と民衆の風流踊
26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
27.沈静の美、躍動の美
第九章
御殿と草庵
28.宇治橋三の間の名水から竹生島へ
29.都久夫須麻神社本殿
30.高台寺の時雨亭と傘亭
31.高台寺茶亭、都久夫須麻神社本殿と伏見城
第十章
金碧と水墨
32.金碧画の平板と水墨画の奥行
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
34.画道における楓図、松林図の位置
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
第十一章
花紅葉と
冷え枯るる
36.高雄観楓図と鬼桶水指
37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
38.冷え枯るる風体
第十二章
遠心と求心
39.桃山時代の遠心と求心
40.妙喜庵 待庵
41.東山大仏殿
42.秀吉の遠心と利休の遠心
第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって
43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
44.秀吉と利休のわびへの志向
45.冷えわびとなまわび
第2部
倉澤先生に聞く
織部に「閑寂」を忍ばせる
信長のこと
家康と桃山のこと
あとがき
年表
第一部図版目録