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朗読者:市川櫻香
3.三藐院の団欒の歌
近衛信尹(三藐院)筆 和歌懐紙『団欒の歌』に、秀吉の消息と比べるため、三藐院の書を掲出してみた。
(釈文)
新斎に夜語って鶏を聞いて起ち
旧宅に春遊んで月を待ちて帰る
おもふどちまどゐせる夜ハからにしき
たゝまくをしき物にぞありける
新しい部屋で夜に語り合っていて覚えず時を過し、鶏鳴を聞いて、はや夜の明けるのを知り、座を起った。旧い家で春遊を楽しんでいたら、いつか日暮れとなり、月を待って帰った。気の合った者が親しく集っている団欒の夜は、座を立つのが惜しいものだ—というのである。「からにしき」(唐錦)は枕詞で、「た(裁)たまく」にかかる。この歌は、『古今和歌集』巻十七に、よみ人知らずで載せられている歌である。
読者はだぶん、この書の内容から、夜咄の茶事を想起されるであろう。「新斎」というのも、新しくできた囲いの茶室と考えると、歌の全体の雰囲気によくマッチする。茶の湯の交会は、夜咄に限らず、すべてかくの如く、起ち難く去り難く思われるような会でありたい。『茶湯一会集』に、「主客とも餘情残心を催し」とあるのも、このところをいうのであろう。また私は、「旧宅に春遊んで月を待ちて帰る」の句から、「月よみの光を待ちて帰りませ山路は栗のいがのしげきに」(良寛)の歌を思い出した。
三藐院の日記『三藐院記』を見ると、彼はしきりに茶の会に出席しており、桑山重晴、本願寺光昭、春屋宗園、片桐且元、島津義弘、伊集院忠棟、山下宗安、一乗院典瑜などと茶の上での交わりのあったことがわかる。もっとも三藐院にとって、席を起つのが惜しい集いは、茶会には限らなかった。和歌会や連歌会や能会や碁会、または酒宴にも、そういう集いはいくらもあったであろう。『三藐院記』を読んでゆくと、そういう集いの記事がいろいろあり、中には恰も右の書の内容に符合するような記事もある。例えば、
晩に和久半左衛門尉所へ赴、鶏鳴に帰旅宿 (慶長十一年二月二日)
津軽右京、保長老と囲碁、及鶏鳴 (同年同月十七日)
これはどちらも鶏鳴を聞いて帰った例である。
能以后酌取出及暁天 (文禄五年七月二十二日)
加藤肥後守所へ赴、江雪、半入、天野周防ナト同席ニテ大飲也、帰京之時分卯剋 (慶長十一年二月十九日)
及晩一条殿ヨリ参へき由也、赴及暁天 (慶長十一年三月二十九日)
暁天に及んで、又は卯の刻(午前六時頃)時分に、帰ったのであるから、鶏鳴も聞いたであろう。
幸侃・宗吟へ茶を振舞、入夜幸侃にて又こうたなとあり、 及深更、(文禄五年七月二十二日)
これは、深更に及んで帰るというのであるから、「月を待ちて帰る」の類である。
朗読者
市川櫻香
舞踊家/名古屋生まれ。むすめかぶき代表、花習会主宰。12代市川宗家より市川姓授与、祖母、豊後半壽、常磐津研究所に生れる。能と歌舞伎による新作「千手」「天の探女」、市川團十郎脚本「黒谷」、名古屋市芸術奨励賞、名古屋演劇ペンクラブ賞受賞等。 ―「伝えるより、気づいてもらう」と倉澤先生の言葉。日本的な「歌」の世界観が表現出来ることを目標にして読みました。どうでしょうか。
第1部
- 桃山の美とこころ
はしがき - はしがき
- 第一章
公家と武家 - 1.秀吉の松丸殿あて消息
- 2.格外の書と破格の書
- 3.三藐院の団欒の歌
- 4.秀吉と三藐院
- 第二章
南蛮物と和物 - 5.唐物と南蛮物
- 6.南蛮服飾
- 7.片身替詩歌文様の能装束
- 8.和物の伝統の継承発展
- 第四章
豪壮と優婉 - 12.唐獅子図屛風
- 13.唐獅子とは
- 14.花下遊楽図屛風
- 第六章
懐古と求新 - 19.異国的なるものへの憧憬
- 20.南蛮画
- 21.伊勢物語絵、源氏物語絵
- 第七章
キリシタンと禅 - 22.キリスト教と禅
- 23.キリシタン美術
- 24.禅の美術
- 第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動) - 25.天下人の能と民衆の風流踊
- 26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
- 27.沈静の美、躍動の美
- 第十一章
花紅葉と
冷え枯るる - 36.高雄観楓図と鬼桶水指
- 37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
- 38.冷え枯るる風体
- 第十二章
遠心と求心 - 39.桃山時代の遠心と求心
- 40.妙喜庵 待庵
- 41.東山大仏殿
- 42.秀吉の遠心と利休の遠心
- 第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって - 43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
- 44.秀吉と利休のわびへの志向
- 45.冷えわびとなまわび