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朗読者:市川阿朱花
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
先ず「松浦屛風」(国宝 婦女遊楽図屏風(松浦屏風))と対比させてみよう。この金碧屛風絵には、先にも述べた如く、精神的奥行・深みが、全くと言ってもいいほど感じられない。この絵には、実在の深処への関心、現実超越の志向が極めて薄弱なのである。実在の深処への関心、現実超越の志向は、宗教的関心・志向と言われてもよい。この点から言えば、この絵は、テーマにおいてのみならず内実においても、宗教性の殆どない「世俗画」なのである。ことわっておくが、世俗画であることは、その作品の藝術的価値の低さに直結するものでは勿論ない。「松浦屛風」がまことにすぐれた、すばらしい作品であるのは、何人も否み得ぬところである。
テーマにおいても、内実においても世俗画である絵の典型として、江戸時代の歌麿の絵(喜多川歌麿画 婦女人相十品ポッピンを吹く娘 正面・喜多川歌麿画 婦人相学十躰 浮気之相)に代表される浮世絵を挙げることができるが、「松浦屛風」の如きは、まさしく浮世絵の先駆と言えよう。
これに対し、「楓図」は、テーマにおいては宗教と直接かかわりのない世俗画であるが、内実においては、深い意味での宗教画と言って差支えないのである。金地濃彩のこの絵が、他の濃彩画と同じく、観者の感性に強く作用することは勿論である。しかしこの絵は、同時に、感性を超えて、精神の深処にも強く作用する。この絵に対する時われわれは、画面の奥に深き実在の真相を豫感し、それに参入せんとの心持に誘われるのである。それは、この絵が、実在の深処・心の表現であるからである。
次に、「花下遊楽図屛風」を「楓図」と対比させてみよう。「松浦屛風」と較べると、「花下遊楽図屛風」は、桃山時代に強まってきた現実肯定・現世謳歌の精神を母胎とする当世風俗画である点で「松浦屛風」と共通するものの、「松浦屛風」にはない精神的奥行・深みをかなりとどめている。それは、この絵に、中世的な現実超越の志向・実在の深処への関心が、なお残っていることを示す。つまり、「松浦屛風」ほど世俗化されてはいないのである。「花下遊楽図」が、高雅・清澄な風俗画(14節)である理由の一つは、ここにある。
「花下遊楽図」は、実在の深処と関りをもつ点で、「楓図」と共通している。だが、両図の、実在の深処との関り方は、いわば正反対である。「花下遊楽図」が「心へ」の往相の絵であるのに対し、「楓図」は、「心から」の還相の絵であるのである。
最後にもう一度、「楓図」と「松林図」とを見くらべてみよう。一は金地濃彩の金碧画、他は色彩を捨離した水墨画として、様式的には対極に位置しながら、両者は、実在の深処・心からの還相の道に生れた絵として、共通の内実を具えている。われわれは、かかる絵を寂かに鑑賞することを通して、実在の深処へといざなわれることができる。絵の鑑賞が、鑑賞者自身を深め、高めることになるのである。真に傑出した藝術作品とは、かくの如きをいうのであろう。
朗読者
市川阿朱花
舞踊家・むすめかぶき/花習会。12代市川宗家より市川姓授与/市川櫻香に師事。能と歌舞伎による「勧進帳」「舟弁慶」など。 本書の年表の作成に携わりました。芸術書に歴史年表を加えることで、その芸術が「時」と「社会」に大きく関わることに気づきました。更に、等伯の絵を見ながら朗読していくうちに、戦国の武将達の身体感が等伯の絵と共に感じられました。これは年表の作成効果に思いました。武将たちとの距離を縮めた気がします。
第1部
- 桃山の美とこころ
はしがき - はしがき
- 第一章
公家と武家 - 1.秀吉の松丸殿あて消息
- 2.格外の書と破格の書
- 3.三藐院の団欒の歌
- 4.秀吉と三藐院
- 第二章
南蛮物と和物 - 5.唐物と南蛮物
- 6.南蛮服飾
- 7.片身替詩歌文様の能装束
- 8.和物の伝統の継承発展
- 第四章
豪壮と優婉 - 12.唐獅子図屛風
- 13.唐獅子とは
- 14.花下遊楽図屛風
- 第六章
懐古と求新 - 19.異国的なるものへの憧憬
- 20.南蛮画
- 21.伊勢物語絵、源氏物語絵
- 第七章
キリシタンと禅 - 22.キリスト教と禅
- 23.キリシタン美術
- 24.禅の美術
- 第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動) - 25.天下人の能と民衆の風流踊
- 26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
- 27.沈静の美、躍動の美
- 第十一章
花紅葉と
冷え枯るる - 36.高雄観楓図と鬼桶水指
- 37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
- 38.冷え枯るる風体
- 第十二章
遠心と求心 - 39.桃山時代の遠心と求心
- 40.妙喜庵 待庵
- 41.東山大仏殿
- 42.秀吉の遠心と利休の遠心
- 第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって - 43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
- 44.秀吉と利休のわびへの志向
- 45.冷えわびとなまわび