第十二章

遠心と求心

40.妙喜庵 待庵

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朗読者:市川新蔵

40.妙喜庵 待庵

国宝 妙喜庵待庵 内部 躙口より床の間を望む

近頃、久しぶりに待庵を訪ねた私は、これを研究者の眼というよりは使う者の眼で、つまり亭主の、また客の眼で見直してみた。

国宝 妙喜庵待庵 内部 茶道口から床の間を望む

先ず、亭主の心持で茶道口に坐し、静かに一礼して顔を上げた私は、一瞬わが目を疑った。床の間が餘りに奥深く、遠く見えたからである。上図は、その時の私の目の位置にカメラを据えて撮影したものであるが、読者の眼にはどう映るであろうか。この席は二畳敷であるから、茶道口から床の掛物までおよそ二メートル半くらいである。だが、私の目には、床がそれより遙かに遠く見えた。もっとも後から考えてみると、そのとき私が感じたのは、物理的な距離の遠さだけでなくて、多分に精神的な要素の加わった遠さであった。思うにそれは、等伯の松林図や楓図、また牧渓や梁楷の絵がもつ奥深さの感じ(第十章参照)と相通じるものであっただろう。

西田幾多郎(寸心)筆「悠遠」

私が待庵の茶道口に坐して感じた、奥深く遙かなる趣は、たぶん、古来「幽玄」と表詮されてきたところのものであろう。だが、私がそこで感じたものは、「幽玄」というだけでは言い尽くされないような気もする。何となれば、「幽玄」という概念には、深い奥行きの感じは含まれていても、遙かなる遠い感じは十分には含まれていないからである。ここで私は、西田幾多郎が、茶をする弟子のために書いて与えた「悠遠」という語(西田幾多郎(寸心)筆「悠遠」)を想起する。西田は、茶の心を、ということで、特にこの語を工夫したのだという。私の感じた遙かなる遠い感じは、或はこの「悠遠」という語で表詮するのがよいかも知れない。だがまた、「悠遠」だけでは、今度は深い奥行きの感じが洩れてしまううらみがある。そこで私は、待庵の茶道口に坐しての奥深く遙かなる感じを、「幽玄にして悠遠」と形容しておくこととする。

では、この幽玄にして悠遠なる趣は、待庵のどういう構造に由来するのであろうか。第一に挙げられるのは、室床と称する床の間の様式である。これは、床の間の天井と入隅二方に、壁を、角に丸みをもたせて塗り回したもので、床の間を広く深く見せる効果がある。第二に挙げられるのは、茶室の天井を構成する諸部分と床の間との相互の位置関係である。図からも分るように、手前の「掛込天井」→「掛込天井と竿縁天井の間の三角壁」→「竿縁天井」→「竿縁天井と床の間の間の垂れ壁」→「床の間」というように、手前から床の間へ向って、だんだん低くなっており、それが恰も透視図法における如き奥行きを出す効果を発揮しているのである。そのことは、躙口から床の間の方を見ると(下図)、一層よく了解されるであろう。そのほかにも、採光すなわち窓の開け方、土の中に切藁を混ぜた苆壁の手法など、いろいろ挙げることができるが、ここでは説明は省略する。

国宝 妙喜庵待庵 内部 躙口より床の間を望む

さて、茶道口でしばし物思いにふけった私は、やおら立ち上って席中に入り、点前座に坐った。ここの炉は、いわゆる隅炉の形式になっている。私はその前で点前(の振り)をしてから、客畳の方に向き直った。その時、私はそこに、二人の老人の客の幻影を見た。客畳の後壁には、「無作の作」の見本のような、大小二つの下地窓が開けられているが(下図)、二人はそれぞれ一つずつの窓を背にして坐っていたから、顔の部分がほんのりと明るく浮き出て見えた。それは、「かかる客こそあらまほし」と思う私の願望が呼び寄せた幻覚で、一人は趙州、他の一人は先師久松抱石先生であったらしい。

国宝 妙喜庵待庵 内部 東壁の窓
国宝 妙喜庵待庵 内部 客座より躙口を望む  国宝 妙喜庵待庵 内部 客座より茶道口を望む

次に私は、いったん露地に下り、今度は客の心持になって、席入りしてみた。躙口(上図左側)から正面の床をうかがうと、図(国宝 妙喜庵待庵 内部 躙口より床の間を望む)の如く見える。右に述べたように一種の透視図法的効果によって、茶席の奥行が実際以上に深く見える。床前に進んで掛物を拝見する。円相の中に「本来無一物」とある。この席に、いかにも似つかわしい語である。次に、床を右に、小窓を背に座を定める。そこから茶道口の方を見やったところが、上図右側である。私は、その茶道口に、利休が亭主として坐っている様を思い浮かべてみた。静かに襖が開く。すると、利休の姿が、ほどよい明るさの中に、見える。そのほどよい明るさは、茶席の窓からの光と、茶道口横の下地窓の光とが合成されて出来たものである。私はその下地窓の見事な効果に感歎した。この窓は、客畳の後にあって客の顔をほどよい明るさに照らす大小二つの窓とともに、茶室での窓のありようについて更めて考えさせる。とかく意匠の面白さのみに趨りがちな現代の建築家は、ここに、建築のいわば原点を見るべきであろう。なおこの窓は、その横の連子窓とのバランスから言って、これより大きくても小さくても、位置が高くても低くても、工合が悪い。そういうところにも行届いた作意がうかがわれる。

朗読者

市川新蔵

歌舞伎俳優/六代目・1956年生まれ/12代目市川團十郎の門人、一番弟子。重要無形文化財総合認定。堅実な芸風で『義経千本櫻』の四天王の武士、『夏祭浪花鑑』の義平次などの敵役、『源平布引滝』の九郎助などの老けが持ち役。国立劇場特別賞、日本俳優協会賞等受賞。-茶人の目線でお読みいただいた。本当に堅実な方である。朗読からもよくわかる。歌舞伎役者も、能楽師と同様、伝統を伝承する仕事です。そして、その上で利休のような思いがあるものだと、朗読を聞いて観じます。(櫻)

第1部

桃山の美とこころ
はしがき
はしがき
第一章
公家と武家
1.秀吉の松丸殿あて消息
2.格外の書と破格の書
3.三藐院の団欒の歌
4.秀吉と三藐院
第二章
南蛮物と和物
5.唐物と南蛮物
6.南蛮服飾
7.片身替詩歌文様の能装束
8.和物の伝統の継承発展
第三章
花と雪間の草
9.金碧障壁画
10.「冷え」の美
11.雪間の草の春
第四章
豪壮と優婉
12.唐獅子図屛風
13.唐獅子とは
14.花下遊楽図屛風
第五章
閑寂と変化
15.長次郎の「大黒」と織部の「三角窓」
16.早船茶碗の文
17.利休における閑寂と変化
18.織部焼
第六章
懐古と求新
19.異国的なるものへの憧憬
20.南蛮画
21.伊勢物語絵、源氏物語絵
第七章
キリシタンと禅
22.キリスト教と禅
23.キリシタン美術
24.禅の美術
第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動)
25.天下人の能と民衆の風流踊
26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
27.沈静の美、躍動の美
第九章
御殿と草庵
28.宇治橋三の間の名水から竹生島へ
29.都久夫須麻神社本殿
30.高台寺の時雨亭と傘亭
31.高台寺茶亭、都久夫須麻神社本殿と伏見城
第十章
金碧と水墨
32.金碧画の平板と水墨画の奥行
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
34.画道における楓図、松林図の位置
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
第十一章
花紅葉と
冷え枯るる
36.高雄観楓図と鬼桶水指
37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
38.冷え枯るる風体
第十二章
遠心と求心
39.桃山時代の遠心と求心
40.妙喜庵 待庵
41.東山大仏殿
42.秀吉の遠心と利休の遠心
第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって
43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
44.秀吉と利休のわびへの志向
45.冷えわびとなまわび
第2部
倉澤先生に聞く
織部に「閑寂」を忍ばせる
信長のこと
家康と桃山のこと
あとがき
年表
第一部図版目録