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朗読者:市川阿朱花
34.画道における楓図、松林図の位置
以上、実在の深処と関りをもつ絵に精神的奥行・深みの感じられること、そういう絵は水墨画に多いこと、を述べた。しかし、先にもいうように、水墨画のすべてが、実在の深処と関りをもつ、深みある絵ではないし、また、濃彩画のすべてが、実在の深処と関りをもたぬ、浅い絵であるわけでもない。現に、ここで取上げた等伯の「楓図」は、金地濃彩画であるにかかわらず、実在の深処と密接不離に関り、それ故に、深い奥行を感じさせる絵である。そのことを、次に、少し観点を変えて述べてみよう。
先に、東洋画の画人には、絵を描くことを通して実在の深処に参入せんとし、また、その深処において深処と一体になって絵を描かんとする志向が根強くあった、と述べた。この志向を図式的に言いあらわせば、「絵を通して実在の深処へ」、そして「実在の深処から絵へ」となる。この図式は、実に「画道」というべきものの構造を示しているのである。
ここに「画道」というのは、一般的に「藝道」と呼ばれるものの一つである。そして「藝道」とは、「藝」を通して実在の深処に参入する「道」であり、かつ、実在の深処から「藝」へとはたらき出る「道」である。実在の深処は、芭蕉のいう「貫道する一なる物」「風雅のまこと」、あるいは禅でいう「無」にあたることは前にも述べたが、私はこれを、いろいろな理由から、「心」と呼ぶことにしている。この語を使って言えば、「藝道」とは、「藝から心へ」そして「心から藝へ」の「道」ということになる。茶道は「茶から心へ」「心から茶へ」の道であるし、画道は「絵から心へ」「心から絵へ」の道である。仏教用語をかりて言えば、「心へ」の道は往相の道で、「心から」の道は還相の道である。往相・還相という代りに、還源・起動、あるいは向去・却来の語を用いてもよい。
結論を急ごう。ここで取上げた「松林図」と「楓図」は、どちらも「心から」の道、つまり還相・起動・却来の道に生まれた最高級の傑作である。この両図は、様式的には、水墨画と金碧画という対極にありながら、右のような観点からすれば、同じ方向(還相・起動・却来の道)に位置づけられるのである。
以上のことを、いま少しはっきりさせるため、次に、「楓図」を、他の二、三の絵と対比させてみることにしよう。
朗読者
市川阿朱花
舞踊家・むすめかぶき/花習会。12代市川宗家より市川姓授与/市川櫻香に師事。能と歌舞伎による「勧進帳」「舟弁慶」など。 本書の年表の作成に携わりました。芸術書に歴史年表を加えることで、その芸術が「時」と「社会」に大きく関わることに気づきました。更に、等伯の絵を見ながら朗読していくうちに、戦国の武将達の身体感が等伯の絵と共に感じられました。これは年表の作成効果に思いました。武将たちとの距離を縮めた気がします。
第1部
- 桃山の美とこころ
はしがき - はしがき
- 第一章
公家と武家 - 1.秀吉の松丸殿あて消息
- 2.格外の書と破格の書
- 3.三藐院の団欒の歌
- 4.秀吉と三藐院
- 第二章
南蛮物と和物 - 5.唐物と南蛮物
- 6.南蛮服飾
- 7.片身替詩歌文様の能装束
- 8.和物の伝統の継承発展
- 第四章
豪壮と優婉 - 12.唐獅子図屛風
- 13.唐獅子とは
- 14.花下遊楽図屛風
- 第六章
懐古と求新 - 19.異国的なるものへの憧憬
- 20.南蛮画
- 21.伊勢物語絵、源氏物語絵
- 第七章
キリシタンと禅 - 22.キリスト教と禅
- 23.キリシタン美術
- 24.禅の美術
- 第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動) - 25.天下人の能と民衆の風流踊
- 26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
- 27.沈静の美、躍動の美
- 第十一章
花紅葉と
冷え枯るる - 36.高雄観楓図と鬼桶水指
- 37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
- 38.冷え枯るる風体
- 第十二章
遠心と求心 - 39.桃山時代の遠心と求心
- 40.妙喜庵 待庵
- 41.東山大仏殿
- 42.秀吉の遠心と利休の遠心
- 第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって - 43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
- 44.秀吉と利休のわびへの志向
- 45.冷えわびとなまわび