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朗読者:市川櫻香
30.高台寺の時雨亭と傘亭
それは、京都東山高台寺にある茶亭時雨亭の二階内部である。まず注目されるのは、床の間の真ん中に開けられている円形の下地窓である。掛物をかけるかわりに、この窓を通して外の風景を見るようにしたとも考えられるし、禅の円相の心でこのような窓を開けたとも考えられよう。床柱と竹の中柱との間は、竹を縦に連ねた袖壁とし、その下の吹貫きの奥に竈が見える。天井は、桂離宮月波楼などと同じ、竹棰を使った舟底形の化粧屋根裏となっている。三方の窓が突上式の吹放しとなっており、畳がなくすべて板の間で、上段と下段とに分けられている。重要文化財 高台寺 時雨亭 二階内部は、上段から下段の方を見たところである。
二階建の時雨亭と向い合い、小堀遠州の好みとも言われる渡廊によって結ばれてある、宝形造の茶亭が傘亭である。この茶亭で特に人目を驚かすのは、化粧屋根裏の構造である。それは竹の棰を中央から四方へ向けて放射線状に配したもので、一見、傘を拡げて下から見上げるような趣を呈する。傘亭の名もここに由来する。この化粧屋根裏を背景として、「安閑窟」の扁額が見られる。この茶亭にも一風変った竈がしつらえられている(傘亭 内部 竈の間)。
都久夫須麻神社本殿の絢爛華麗な内部を見た目には、時雨亭・傘亭は、なんと素朴・簡素に映ることであろうか。前者では、室内が金地濃彩の絵や黒漆金蒔絵ですき間なくうめられていたのに対し、後者では、彩色や塗をいっさい用いず、材料の木や竹の自然のままの素地を見せている。前者は典型的な「御殿」であり、後者は典型的な「草庵」である。
さて、時雨亭・傘亭は、伏見城より移築されたものとの伝承をもつ。そもそも高台寺は、秀吉の室、北政所すなわち高台院が、秀吉の冥福を祈り、かつ自分の餘生を過す居所とするため、謡曲で名高いかの自然居士の雲居寺あとに建立したものである。創建の年代は、慶長九年から十一年頃と推定される。建物の中には、伏見城より移建されたものもあったと伝えられる。それは確証できないが、いろいろな点から考えて、高台寺がその創建の当初において既に、伏見城や大坂城から移築の建物をその一部として含んでいたことはあり得るし、後年の伏見城破却に際して、更にいくつかの建物がここに移建された可能性も否定できない。そして、或る時期に伏見城から高台寺へ移築された建物の中に、時雨亭・傘亭の含まれていた可能性もまたあり得るのである。
朗読者
市川櫻香
舞踊家/名古屋生まれ。むすめかぶき代表、花習会主宰。12代市川宗家より市川姓授与、祖母、豊後半壽、常磐津研究所に生れる。能と歌舞伎による新作「千手」「天の探女」、市川團十郎脚本「黒谷」、名古屋市芸術奨励賞、名古屋演劇ペンクラブ賞受賞等。―「伝えるより、気づいてもらう」と倉澤先生の言葉。日本的な「歌」の世界観が表現出来ることを目標にして読みました。どうでしょうか。
第1部
- 桃山の美とこころ
はしがき - はしがき
- 第一章
公家と武家 - 1.秀吉の松丸殿あて消息
- 2.格外の書と破格の書
- 3.三藐院の団欒の歌
- 4.秀吉と三藐院
- 第二章
南蛮物と和物 - 5.唐物と南蛮物
- 6.南蛮服飾
- 7.片身替詩歌文様の能装束
- 8.和物の伝統の継承発展
- 第四章
豪壮と優婉 - 12.唐獅子図屛風
- 13.唐獅子とは
- 14.花下遊楽図屛風
- 第六章
懐古と求新 - 19.異国的なるものへの憧憬
- 20.南蛮画
- 21.伊勢物語絵、源氏物語絵
- 第七章
キリシタンと禅 - 22.キリスト教と禅
- 23.キリシタン美術
- 24.禅の美術
- 第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動) - 25.天下人の能と民衆の風流踊
- 26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
- 27.沈静の美、躍動の美
- 第十一章
花紅葉と
冷え枯るる - 36.高雄観楓図と鬼桶水指
- 37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
- 38.冷え枯るる風体
- 第十二章
遠心と求心 - 39.桃山時代の遠心と求心
- 40.妙喜庵 待庵
- 41.東山大仏殿
- 42.秀吉の遠心と利休の遠心
- 第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって - 43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
- 44.秀吉と利休のわびへの志向
- 45.冷えわびとなまわび