第二章

南蛮物と和物

7.片身替詩歌文様の能装束

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朗読者:鹿島俊裕

7.片身替詩歌文様の能装束

滔々たる南蛮物の流入、南蛮趣味の流行の中にあって、これに流されず、和物の伝統のよさを再認識し、これを継承発展させて、新しい時代に生かしてゆこうとする動きも当然あった。その一例として、もと奈良の金春家に伝来した能装束の金紅片身替詩歌文様厚板を掲げてみた。

まず、全面に散らし書きされている文字から見てゆこう。

背面は『和漢朗詠集』春、立春の歌である。参考のため、伝藤原行成筆、和漢朗詠集(伊豫切)の巻首の写真を掲げる。これと照合して、この能装束の文字を読んでみよう。まず、大きな行書体の漢字六字は、『和漢朗詠集』の第二首からとったものであることが照合によってわかる。伝藤原行成筆 『和漢朗詠集』 伊豫切(複製本) 春・立春では、第二首は次のように読める。

池凍東頭風度解 池の凍の東頭は風度って解く
窓梅北面雪封寒 窓の梅の北面は雪封じて寒し

立春の日、東風が吹いて来て、張りつめた池の氷の東のほとりがとけてきた。けれども、窓外の梅の北側の枝は、氷雪に覆われたままで寒々としている―との意である。重要文化財 能装束 金紅片身替詩歌文様厚板 背面に見える行書体漢字六字は、この詩の初句の散らし書きであるが、凍が氷に、度が渡になっている。意味は変りない。詩の作者は藤原篤茂である。

右袖から背中に、次いで左肩から左袖にと続く草書体の歌は、『和漢朗詠集』の第三首で、

としのうちに春は来にけり一とせを
こぞとやいはんことしとやいはむ

と読める。これはいうまでもなく、『古今集』巻頭の歌でもある。同集では、「ふるとしに春たちける日よめる」の詞書をつけている。この詞書からも明らかなように、この歌は、元旦を迎える前に立春を迎えた時の感懐を叙したものである。たとえば、昭和五十八年の立春は二月四日であるが、この日は旧暦では十二月二十二日に当る。したがって、旧の元旦はそれから九日のちの二月十三日となる。すなわち、立春の日は、新春(新年ではない)第一日であるとともに旧年のうちの日でもあるのである。こういう場合、立春の当日から言えば、その前日までの「一とせ」は、元旦を区切り点とみれば「今年」となり、立春を区切り点とみれば「去年」となる。「一とせをこぞとやいはんことしとやいはむ」とは、そういうとまどいの気持ちをあらわしたものにほかならない。立春と元旦とのずれが大きければ大きいほど、とまどいはいっそう大きくなる。歌の作者は在原元方である。

腰から裾にかけて、同じく草書体であらわされているのは、『和漢朗詠集』第八首で、左から右に読むようになっている。

はる立といふばかりにやみよしのゝ
山もかすみてけさはみゆらむ

今朝は吉野の山に、まるで春霞がかかっているように見える。立春になったというだけで、こんなふうに見えるのだろうか、面白いことだ―というのである。これは『拾遺集』巻頭の歌としても知られた歌である。

前面に散らし書きされているのは、『和漢朗詠集』春、紅梅の歌一首と、雑、鶴の歌二首とである(重要文化財 能装束 金紅片身替詩歌文様厚板 前面)。

君ならでたれにかみせむゝめの花
いろをもかをもしるひとぞしる

声来枕上千年鶴 声は枕上に来る千年の鶴
影落盃中五老峯 影は盃中に落つ五老峯

あまつかぜふけゐのうらにゐるたづの
などかくもゐにかへらざるべき

第一首は、『古今集』春歌上に、「梅花ををりて人にをくりける」の詞書とともに載せる、紀友則の有名な歌。第二首は、白楽天の「題二元八渓居一」の一部。第三首は、『新古今集』雑歌下に、「殿上はなれはべりてよみ侍りける」の詞書とともに載せる、藤原清正の歌である。

朗読者

鹿島俊裕

狂言師/佐藤友彦に師事、狂言共同社 ―本書の朗読で古語や漢詩の箇所を読まれ「そういった文章は間狂言という場面の「アイ」の役の語りに多いので馴染みがあります」とのこと。狂言調に読まれる部分は本業の仕事が見えて興味深く聞いていただけます。(櫻)

第1部

桃山の美とこころ
はしがき
はしがき
第一章
公家と武家
1.秀吉の松丸殿あて消息
2.格外の書と破格の書
3.三藐院の団欒の歌
4.秀吉と三藐院
第二章
南蛮物と和物
5.唐物と南蛮物
6.南蛮服飾
7.片身替詩歌文様の能装束
8.和物の伝統の継承発展
第三章
花と雪間の草
9.金碧障壁画
10.「冷え」の美
11.雪間の草の春
第四章
豪壮と優婉
12.唐獅子図屛風
13.唐獅子とは
14.花下遊楽図屛風
第五章
閑寂と変化
15.長次郎の「大黒」と織部の「三角窓」
16.早船茶碗の文
17.利休における閑寂と変化
18.織部焼
第六章
懐古と求新
19.異国的なるものへの憧憬
20.南蛮画
21.伊勢物語絵、源氏物語絵
第七章
キリシタンと禅
22.キリスト教と禅
23.キリシタン美術
24.禅の美術
第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動)
25.天下人の能と民衆の風流踊
26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
27.沈静の美、躍動の美
第九章
御殿と草庵
28.宇治橋三の間の名水から竹生島へ
29.都久夫須麻神社本殿
30.高台寺の時雨亭と傘亭
31.高台寺茶亭、都久夫須麻神社本殿と伏見城
第十章
金碧と水墨
32.金碧画の平板と水墨画の奥行
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
34.画道における楓図、松林図の位置
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
第十一章
花紅葉と
冷え枯るる
36.高雄観楓図と鬼桶水指
37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
38.冷え枯るる風体
第十二章
遠心と求心
39.桃山時代の遠心と求心
40.妙喜庵 待庵
41.東山大仏殿
42.秀吉の遠心と利休の遠心
第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって
43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
44.秀吉と利休のわびへの志向
45.冷えわびとなまわび
第2部
倉澤先生に聞く
織部に「閑寂」を忍ばせる
信長のこと
家康と桃山のこと
あとがき
年表
第一部図版目録