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朗読者:佐藤融
8.和物の伝統の継承発展
では、この能装束が、いかなる点で、和物の伝統の継承発展であるかを次に見てゆこう。まず、あらわされた歌が、人口に膾炙した古典的名歌であるということ。これが伝統への回帰の志向を表わすものであることはいうまでもない。
次に、文字が散らし書きされているという点が注意される。工藝における散らし書きは散らし模様の一種といえるが、そもそも散らし模様というのは、勝れて日本的な造形であって、西方の造形にはあまり類例を見ぬものである。例えば東京国立博物館に蔵せられる能装束の一つ、紫練緯地色紙葡萄模様摺箔と前述の伝秀吉着用の陣羽織(重要文化財 綴織鳥獣文陣羽織 伝豊臣秀吉所用)とを比べてみるとよい。後者では、既に述べた如く、大小の区劃が左右対称に規則正しく整然と並べられている。しかし前者では、色紙が左右不対称に、また不規則に散らされている。由来、日本人には、左右が揃ってきちんと整ったものより、左右ふぞろいで、自然に乱れ、ないしは缺けているのをよしとする感覚がある。偶より奇を、均斉よりも不均斉を、より親しいものと感じるのである。岡倉天心はこの点について、「真の美は只〈不完全〉を心の中に完成する人によってのみ見出される」のだとし(『茶の本』)、久松真一は、「完全を破る」のだと言った。いずれにせよ、日本的美意識の中には、そのような「不完全」志向があるのであり、それが散らし模様、散らし書きというユニークな造形につながるのである。桃山時代工藝でいえば、本阿弥光悦の舟橋蒔絵硯箱が、散らし書きの傑作である。
次に、金と紅の片身替りの大胆な意匠が注目される。背縫を中心に左右の色、柄、染、織、地質を替えて仕立てる、片身替りという思い切った意匠は、自由豁達な桃山の雰囲気によくマッチし、それ故、この時代に創始されたと思われがちであるけれども、既に野間静六が指摘しているように(『小袖と能衣装』)、鎌倉時代の『春日権現験記絵巻』の中に片身替り衣裳の人物が描かれており、系譜としては、西本願寺本三十六人家集(重要文化財 西本願寺本三十六人家集 伊勢集断簡 石山切)に典型的にみられる、色紙を継ぎ合せた料紙の意匠にまでさかのぼり得る、日本人の伝統的美意識に深く根ざした意匠である。そしてこの意匠も、右に述べた「不完全」志向と無関係ではない。東京国立博物館の黒茶片身替鉄線唐草薄扇散模様縫箔は、右の詩歌模様厚板と並ぶ、桃山を代表する片身替りの優品であり、また散らし模様意匠の一例でもある。なお高台寺の竹秋草蒔絵片身替手文庫は、漆器における片身替り意匠の代表的なものである。
朗読者
佐藤融
狂言師/祖父、父に師事、狂言共同社。重要無形文化財保持者 ―静かに読まれている印象でした(櫻)
第1部
- 桃山の美とこころ
はしがき - はしがき
- 第一章
公家と武家 - 1.秀吉の松丸殿あて消息
- 2.格外の書と破格の書
- 3.三藐院の団欒の歌
- 4.秀吉と三藐院
- 第二章
南蛮物と和物 - 5.唐物と南蛮物
- 6.南蛮服飾
- 7.片身替詩歌文様の能装束
- 8.和物の伝統の継承発展
- 第四章
豪壮と優婉 - 12.唐獅子図屛風
- 13.唐獅子とは
- 14.花下遊楽図屛風
- 第六章
懐古と求新 - 19.異国的なるものへの憧憬
- 20.南蛮画
- 21.伊勢物語絵、源氏物語絵
- 第七章
キリシタンと禅 - 22.キリスト教と禅
- 23.キリシタン美術
- 24.禅の美術
- 第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動) - 25.天下人の能と民衆の風流踊
- 26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
- 27.沈静の美、躍動の美
- 第十一章
花紅葉と
冷え枯るる - 36.高雄観楓図と鬼桶水指
- 37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
- 38.冷え枯るる風体
- 第十二章
遠心と求心 - 39.桃山時代の遠心と求心
- 40.妙喜庵 待庵
- 41.東山大仏殿
- 42.秀吉の遠心と利休の遠心
- 第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって - 43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
- 44.秀吉と利休のわびへの志向
- 45.冷えわびとなまわび