第十章

金碧と水墨

33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画

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朗読者:市川阿朱花

33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画

日本の歴史においてふつう中世と呼ばれる鎌倉・室町時代は、現世・現実からの超脱志向の強い時代であった。「厭離穢土・欣求浄土」(穢れたこの世を厭うて離脱し、極楽浄土に生れることを切望する)は、中世の多くの人々の志向するところであった。厭離穢土・欣求浄土は現世・現実へのひたすらなる否定の立場であるが、現実を肯定する立場も、中世に無くはなかった。しかしその現実肯定は、多くの場合、現実そのままをはじめから肯うのでなく、何等かの意味で現実を超越した立場を先ず開き、そこから立返って現実を肯定するという、いわば屈折した仕方での肯定であった。例えば、現世を無常と嘆じて現世からの超脱を求め、やがて無常が常であると悟って、無常の現世を無常のままで肯うに至る、というが如くである。要するに、中世においては、現実否定はもとより、現実肯定にも、現実からの超越の立場が含まれていたのである。そして、現実超越の志向が、濃彩画より水墨画と結びつきやすいのは、右に見た通りである。かくて中世には、水墨画が盛行したのであった。中世的精神が、おのれにふさわしき絵画形式として、水墨画を求めたとも言えよう。

国宝 狩野長信筆 花下遊楽図屏風 左隻(第4章47)
東京国立博物館所蔵 出典:ColBase
重要文化財 南蛮屏風 右隻(第6章76)
南蛮文化館所蔵
重要文化財 南蛮屏風 左隻(第6章76)
重要文化財 狩野内膳筆 豊国祭礼図屏風 右隻(第8章99)
豊国社とその周辺
豊国神社所蔵
重要文化財 狩野内膳筆 豊国祭礼図屏風 左隻(第8章99)
東山大仏とその周辺

桃山時代は、右のような現実超越の志向が漸次弱まり、代って現実をそのまま肯定する態度の強まっていった時代である。絵画の歴史において、桃山時代に特に目立つ現象の一つは、当世風俗を描く風俗画が急激に増加したことである。これまでに取上げた「花下遊楽図屛風」、「南蛮屛風」、「豊国祭礼図屛風」なども、一種の当世風俗画である。このような当世風俗画が、現実肯定・現世謳歌の精神と密接に関っているのはいうまでもない。

金碧画の盛行も、基本的には、こういう現実肯定精神に促されたものであった。金碧画の盛行については、「日本くにぐにに金銀山野に湧き出で、……昔は黄金をまれにも拝見申事これなし、当時はいかなる田夫野人にいたるまで、金銀たくさんにもちあつかはずといふものなし」(『大かうさまくんきのうち』)と太田牛一が書いたような、当代における金の豊富な産出のことも、勿論考慮に入れねばならないけれども、基本的には、当代に漸く強まってきた現実肯定の精神が、おのれにふさわしき絵画形式として、金碧画を求めたと考えるべきであろう。

このように、桃山時代には、現実肯定の気分が強まり、ひいて金碧画・濃彩画が盛に行われたのであるが、中世的な現実超越の志向、実在の深処への関心も、前代ほどでないにしても、なお強く残り、等伯の「松林図」や海北友松の「松に叭々鳥図」(重要文化財 海北友松筆 松に叭々鳥図(松竹梅図襖のうち))のような、精神的深みある水墨画が生れたのであった。

朗読者

市川阿朱花

舞踊家・むすめかぶき/花習会。12代市川宗家より市川姓授与/市川櫻香に師事。能と歌舞伎による「勧進帳」「舟弁慶」など。 本書の年表の作成に携わりました。芸術書に歴史年表を加えることで、その芸術が「時」と「社会」に大きく関わることに気づきました。更に、等伯の絵を見ながら朗読していくうちに、戦国の武将達の身体感が等伯の絵と共に感じられました。これは年表の作成効果に思いました。武将たちとの距離を縮めた気がします。

第1部

桃山の美とこころ
はしがき
はしがき
第一章
公家と武家
1.秀吉の松丸殿あて消息
2.格外の書と破格の書
3.三藐院の団欒の歌
4.秀吉と三藐院
第二章
南蛮物と和物
5.唐物と南蛮物
6.南蛮服飾
7.片身替詩歌文様の能装束
8.和物の伝統の継承発展
第三章
花と雪間の草
9.金碧障壁画
10.「冷え」の美
11.雪間の草の春
第四章
豪壮と優婉
12.唐獅子図屛風
13.唐獅子とは
14.花下遊楽図屛風
第五章
閑寂と変化
15.長次郎の「大黒」と織部の「三角窓」
16.早船茶碗の文
17.利休における閑寂と変化
18.織部焼
第六章
懐古と求新
19.異国的なるものへの憧憬
20.南蛮画
21.伊勢物語絵、源氏物語絵
第七章
キリシタンと禅
22.キリスト教と禅
23.キリシタン美術
24.禅の美術
第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動)
25.天下人の能と民衆の風流踊
26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
27.沈静の美、躍動の美
第九章
御殿と草庵
28.宇治橋三の間の名水から竹生島へ
29.都久夫須麻神社本殿
30.高台寺の時雨亭と傘亭
31.高台寺茶亭、都久夫須麻神社本殿と伏見城
第十章
金碧と水墨
32.金碧画の平板と水墨画の奥行
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
34.画道における楓図、松林図の位置
35.楓図と松浦屛風ならびに花下遊楽図との比
第十一章
花紅葉と
冷え枯るる
36.高雄観楓図と鬼桶水指
37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
38.冷え枯るる風体
第十二章
遠心と求心
39.桃山時代の遠心と求心
40.妙喜庵 待庵
41.東山大仏殿
42.秀吉の遠心と利休の遠心
第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって
43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
44.秀吉と利休のわびへの志向
45.冷えわびとなまわび
第2部
倉澤先生に聞く
織部に「閑寂」を忍ばせる
信長のこと
家康と桃山のこと
あとがき
年表
第一部図版目録