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朗読者:市川阿朱花
33.現実超越の水墨画と現実肯定の金碧画
日本の歴史においてふつう中世と呼ばれる鎌倉・室町時代は、現世・現実からの超脱志向の強い時代であった。「厭離穢土・欣求浄土」(穢れたこの世を厭うて離脱し、極楽浄土に生れることを切望する)は、中世の多くの人々の志向するところであった。厭離穢土・欣求浄土は現世・現実へのひたすらなる否定の立場であるが、現実を肯定する立場も、中世に無くはなかった。しかしその現実肯定は、多くの場合、現実そのままをはじめから肯うのでなく、何等かの意味で現実を超越した立場を先ず開き、そこから立返って現実を肯定するという、いわば屈折した仕方での肯定であった。例えば、現世を無常と嘆じて現世からの超脱を求め、やがて無常が常であると悟って、無常の現世を無常のままで肯うに至る、というが如くである。要するに、中世においては、現実否定はもとより、現実肯定にも、現実からの超越の立場が含まれていたのである。そして、現実超越の志向が、濃彩画より水墨画と結びつきやすいのは、右に見た通りである。かくて中世には、水墨画が盛行したのであった。中世的精神が、おのれにふさわしき絵画形式として、水墨画を求めたとも言えよう。
桃山時代は、右のような現実超越の志向が漸次弱まり、代って現実をそのまま肯定する態度の強まっていった時代である。絵画の歴史において、桃山時代に特に目立つ現象の一つは、当世風俗を描く風俗画が急激に増加したことである。これまでに取上げた「花下遊楽図屛風」、「南蛮屛風」、「豊国祭礼図屛風」なども、一種の当世風俗画である。このような当世風俗画が、現実肯定・現世謳歌の精神と密接に関っているのはいうまでもない。
金碧画の盛行も、基本的には、こういう現実肯定精神に促されたものであった。金碧画の盛行については、「日本くにぐにに金銀山野に湧き出で、……昔は黄金をまれにも拝見申事これなし、当時はいかなる田夫野人にいたるまで、金銀たくさんにもちあつかはずといふものなし」(『大かうさまくんきのうち』)と太田牛一が書いたような、当代における金の豊富な産出のことも、勿論考慮に入れねばならないけれども、基本的には、当代に漸く強まってきた現実肯定の精神が、おのれにふさわしき絵画形式として、金碧画を求めたと考えるべきであろう。
このように、桃山時代には、現実肯定の気分が強まり、ひいて金碧画・濃彩画が盛に行われたのであるが、中世的な現実超越の志向、実在の深処への関心も、前代ほどでないにしても、なお強く残り、等伯の「松林図」や海北友松の「松に叭々鳥図」(重要文化財 海北友松筆 松に叭々鳥図(松竹梅図襖のうち))のような、精神的深みある水墨画が生れたのであった。
朗読者
市川阿朱花
舞踊家・むすめかぶき/花習会。12代市川宗家より市川姓授与/市川櫻香に師事。能と歌舞伎による「勧進帳」「舟弁慶」など。 本書の年表の作成に携わりました。芸術書に歴史年表を加えることで、その芸術が「時」と「社会」に大きく関わることに気づきました。更に、等伯の絵を見ながら朗読していくうちに、戦国の武将達の身体感が等伯の絵と共に感じられました。これは年表の作成効果に思いました。武将たちとの距離を縮めた気がします。
第1部
- 桃山の美とこころ
はしがき - はしがき
- 第一章
公家と武家 - 1.秀吉の松丸殿あて消息
- 2.格外の書と破格の書
- 3.三藐院の団欒の歌
- 4.秀吉と三藐院
- 第二章
南蛮物と和物 - 5.唐物と南蛮物
- 6.南蛮服飾
- 7.片身替詩歌文様の能装束
- 8.和物の伝統の継承発展
- 第四章
豪壮と優婉 - 12.唐獅子図屛風
- 13.唐獅子とは
- 14.花下遊楽図屛風
- 第六章
懐古と求新 - 19.異国的なるものへの憧憬
- 20.南蛮画
- 21.伊勢物語絵、源氏物語絵
- 第七章
キリシタンと禅 - 22.キリスト教と禅
- 23.キリシタン美術
- 24.禅の美術
- 第八章
天下人と民衆
(沈静と躍動) - 25.天下人の能と民衆の風流踊
- 26.豊国社臨時祭と祭礼図屛風
- 27.沈静の美、躍動の美
- 第十一章
花紅葉と
冷え枯るる - 36.高雄観楓図と鬼桶水指
- 37.なまめかしき「浦のとまや」―冷えたる風体
- 38.冷え枯るる風体
- 第十二章
遠心と求心 - 39.桃山時代の遠心と求心
- 40.妙喜庵 待庵
- 41.東山大仏殿
- 42.秀吉の遠心と利休の遠心
- 第十三章
秀吉のわびと
利休のわび
北野大茶湯をめぐって - 43.壮大・豪奢への志向とわびへの志向
- 44.秀吉と利休のわびへの志向
- 45.冷えわびとなまわび